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子どもたちの健やかな成長と幸せな生活を目指しています

一人じゃないよ−皆なのメッセージ


○ときめきは涙に負けない  ○縁(えにし)  ○私の夢  ○私の夢  ○私の夢  ○私の夢
○日ごろ思ったり考えたりすること

ときめきは涙に負けない        S.K

   現在、養護学校に通う元気な女の子を育てています。先輩の里親さんのご協力により、生後二か月から我が家の一員になりました。子育てに奮闘の毎日ですが、ちょっと今までの経過を振り返ってみました。
 発達が遅れているなと感じたのは、三〜四か月頃でしょうか、百日の写真撮影時にはまだ首が座っていませんでした。三歳になっても言葉を話すことができず、歩くこともできず、主治医からは重度の知的障害、てんかん、発達遅延、自閉症と、沢山の有難くない診断をいただきました。なかなか現実を受け入れることができず、途方に暮れる私たちの元へ、一生懸命にハイハイをして来る娘の姿をみて「大丈夫、希望を持って育てよう」と気を取り直し、強く決心したことが昨日のことのように思い出されます。
 主治医からは、歩く能力はあるが危険性が強いため、移動にはバギー (車いす)を使う訓練を行った方が良いかもと言われましたが、理学療法士や保育園の先生方は熱心に歩く練習をしてくださいました。五歳になったある日、「○○ちやんが今日、園内で三歩、歩いたんです」と保育士さんが嬉し泣きをしながら報告してくれたことは今でも忘れません。卒園式は先生と手をつなぎ、凛とした表情で証書を受け取っていました。
 入学式もバギーを使わず、父と長い距離を歩いて入場することができました。そんな娘の姿を見ていると、少しずつですが確実に成長しているなと感 じます。「出来て当たり前」のことに、ほんのわずかでも近づけるだけで、なんだか胸がときめいてしまいます。
 今、娘は小学二年生です。どちらかといえば小柄ですが、毎日、道具の一杯つまったランドセルを背負って、元気にバス通学しています。学校では音楽や体育の授業が好きなようです。表情が豊かなので先生からは「わかりやすい子ですね」と褒められて?います。他の子との交流はまだ出来ませんが、先生は大好きで、手を引っ張っては自分の要望を伝えている様です。
 休みの日には出来るだけスーパーや公園、図書館等へ連れていき、社会見学?をさせています。感極まり興奮して大声を出してしまい、周りに迷惑をかけてしまうことが多々ありますが、社会とのつながりを持たせる意味でも、積極的に外出させています。
 我が家は共働きのため、放課後デイサービスや、時にはショートスティも利用しています。デイサービスでは、お片付けの習慣をつける練習をしているそうです (自宅ではなかなかしてくれないのですが )。ショートステイでは、終日ベッドでゴロゴロくつろぐ?のが好きなようです。通いも泊まりも嫌がることなく本当にエライ子だと思います。
 「子供は親と約束して生まれてくる」という話をきいたことがあります。私たちがお預かりしている子は重度の障害がありますが、産んでくださった親そして私たち育ての親 、共にこの子とは何かを約束して生まれてきたのではないかと、強く感じています。それはお互いに何かを学ぶため、何か貴重な経験をするためなのかなと思ったりもします。
 正直、将来の事を考えるととても不安です。子育ての考えの違いから、夫婦の意見がぶつかり合うこともしばしばです。でも周りには暖かい目で見守ってくださる里親さん、頼りになる児相の職員さんがいてくださり、数多くの有難い社会資源もあります。
 これからも困つたことは抱えこまないで、ご支援、ご鞭撻をいただき、時には公のお世話になろうと思います。いつも何か新しい発見に 「ときめき」ながら、これからも娘と共に同じ道を歩んでいこうと思っています。本当にありがとうございました。

 

縁(えにし)      H.M


 私どもは主人の転勤のため、10年ぶりに自宅に戻ってまいりました。9月に岩見沢で開催された全道里親大会では、旧知や恩人の方々との再会も感激でしたが、思いがけず過去の研修会で同席された同席された先輩里親さんから声をかけていただき、驚きと同時に嬉しくもありました。
 中央地区里親会は、以前より尊敬できるご立派な先輩が沢山いらっしゃって、研修会などでご一緒するたびにお話しを聞いてもらえたので、とても心強い存在でありました。再会でのその一言、二言の会話は、日々の苦労や不安、また葛藤といったやっかいな心の中の存在が洗われていく、そんな気がしました。
 私どもは、平成九年に里親登録をしてから今日に至るまで、沢山の里子との出会いがありました。現在は、小六の女児(専門里親)を養育中です。今までの私どもの里親生活を考える時、ある面複雑で生きづらい、あるいは無関心なこの社会の中で、無知や偏見を何とか乗り越えて今があるような気がしています。
 社会的養護の現状から、全ての子ども達は社会全体で育んでいくという考えが国から示されている以上、子どもと携わっていく学校現場、医療機関の方々への教育や理解が必須であると考えます。と同時に、養育に困難を伴う児童の委託が増加している中、心身障害やアトピー、アレルギー疾患を抱えた子ども達への配慮として、里親・里子への理解ある医師の確保や育成への対処が急がれます。現場の切なる声が国の施策に反映されることで、今後の子ども達の利益に繋がっていくよう、要望があれば細かく聞いて検討していく努力が更に必要ではないでしょうか。
 さて、折しもこの原稿の依頼を受けた最中に私どもの下に、間もなく二歳となる男児が委託されました。数年ぶりに抱く幼子はとても愛らしく、初めての家庭生活は見るもの全てが新鮮だったようで、元気いっぱいでした。反面、落ち着きがなく、奇声を発し、目を離すことができませんでした。アトピーやアレルギー、偏食があり、朝・晩十種類の薬塗布や飲み薬などに時間を要しました。
 物や人に拘(こだわ)り頑固でしたが、可愛らしくて抱っこを要求されるたび、家族みんなが交代で抱いていました。いちばん困ったことは、遺伝的なものなのか夜中に覚醒して何度も泣いたり、起きたりするので、添い寝を続けました。添い寝ができなくなると、一人で夜中に起きて遊んだりした形跡を見つけました。
 夜にしっかり眠れない生活を一ヶ月以上も続けたころ、私は体調を崩しはじめました。診断は過労やストレスから来る帯状疱疹でした。強い薬の副作用もあり、家族みんなの助けを借りても日常生活は無理でした。今回の委託での養育は、困難を伴うことが予想されました。にも拘わらず、添い寝を続けたことでにわか里親となってしまいました。
 里親として年月を重ねても、自慢できることなど何もありません。日々、精一杯です。残念な結果ではありましたが、この間、彼は家族みんなに愛され、普通の家庭生活を体験できたことは、後々の財産となるような気がするのです。分業ではない里親が、24時間お世話をするたいへんさを改めて実感した出来事でした。
 里親になられた皆さんには、それぞれ何かしらの切っ掛けがあるように思います。実際の里親生活は、自身の人生をも改変していく過程そのものです。体力や気力だけでも無理、また様々な方面から得られる知識だけでも対応は難しいものです。根底にある愛情がなければ、家族としての生活も満たされないでしょう。
 過去に比べて実親の存在がある中での養育は、将来の家族再統合の可能性を見据えた場合や、里子が自立を求められることもあり、ケースごとに複雑化しているように感じています。それ故に、研修の機会や児相の方々から得られる最新の情報、あるいは助言に耳を傾け、手探りながらもベストな養育技術や方法といったものを身に付けていく努力を怠ってはならないと思っています。
 平成21年度の制度改革の後、「里親」という存在が少しずつ認知されたり具体化したためか近年、「養子縁組」で里親登録をされる方が増加しているようです。「養子縁組」の里親も養育していく上で、普通に真実告知や反抗期・思春期の悩みを持たれる方もいらっしゃるのではないでしょうか。どんな形であれ、養護を必要とする子ども達が心ある里親のおうちに引き取られ、生活できるのは幸せなことだと思います。里親の皆さん、どうぞ心身ともに健康で、日々を笑顔で楽しく送ってくださいね。


私の夢        S.N(高校3年)

   私が胸に抱いている夢は、普段どおりの生活を送り続けるということです。私は今年で高校を卒業する年齢になりました。高校受験の前日に母が病気で倒れてしまい、現在お世話になっている里親さんの元で生活させていただいています。それまでの生活から一変して生活習慣の全てが変わり、歳の離れた里親さんとの生活は、なかなか苦労するものがありました。
 そもそも里親さんの元で暮らす前はどのような生活を送っていたかと言いますと、いま以上に自由で気ままな生活でした。当時は部活もやっており、帰ってきてからはすぐにゲーム機の電源を立ち上げて、晩ご飯を食べてから風呂に入り、またゲームを夜中までやるという生活でした。いま思えば、良くも悪くも得るものもありましたし、何より母にいちばん世話をかけてしまったし、苦労させてしまったと感じます。
 母が倒れるまでは、成人して社会に出るまで自分にとって普通の生活がずっと続くと思っていたので、生活が変わったことは驚きで、ただ茫然とするばかりでした。時間にはうるさいし、インターネットも何時でも使えないとなると、最初は溜まるものもありました。ですが逆に、生活が変わってからは家族でも何でもない人と暮らすことによって、人との関わり方やゲーム以外の自分の逃げ道の作り方を学んだりと、これからの人生の糧になるものを得ました。そして、そうした生活が長く続いたことによって、新しい「普段どおりの生活」を創ることが出来ました。
 こうして生活していくうちに、もし母が倒れずに以前の生活が続けられていたらと思うと、それはそれで楽しかったのかも知れないし、時々は戻れるものなら戻りたいと思うこともありますが、以前のままだときっと世界観の狭い生活を送っていただろうと考えるようにもなりました。
 というのも現在の生活になってからいろいろな場所へ出かけることが多くなり、部活を退いてからはアルバイトを始め自分の稼いだお金で、お金の許す限りですが、いろいろなアーティストさんのライブなどに行くようにもなりました。そして、ライブやイベントで知り合った方々との交流も多くなり、世界が広がった三年間になったと思います。
 もちろん、里親さんとの生活の中でも自由にやらせてもらっている分、皿洗いや洗濯など家の中のことは積極的とはいきませんが、やれる時にやろうという意識が付いたと思います。日々の感謝の気持ちを持って奉仕すること、その合間の中で自分の楽しめることを楽しむことが基本中の基本ではありますが、大事なことではないでしょうか。
 間もなく里親さんとの生活に別れを告げなければなりませんが、今さらですが、この大事なことに最近になって気づき始めたこの頃です。もし私の母が元気な姿で戻って来れるのなら、この三年間で築き上げた生活を糧にして、クサイ言い方になりますが、親孝行をしてみたいと思います。もちろん、母だけではなくて今まで支えてくれた祖母や叔母、中学校の先生、母の職場の方々、その他知り合った方々、そして里親さんご家族の皆さまにも恩返しが出来ればと思います。
 今年が終われば、今の生活に別れを告げることになります。また新しい生活を築き上げていくことになるでしょう。築き上げる上で、今まで以上に苦しいことや辛いことの繰り返しになると思います。だからこそその中で、今の三年間で築き上げた糧を思い出さなければならないと思います。そしてその中で、今以上に楽しいことを見つけて楽しむことも必要なのだと思います。
 さらにもっと先を見つめれば、一人で独立して、家庭を持って(持てるかどうかは分かりませんが・・・)、多分その頃になると自分の生活が完成されて、守り続けることになののではないかと思います。守り続けることも容易ではありません。
 もしかしたら、今までの私のように予想も出来ないようなことが起こるかも知れません。築き上げてきたものが崩されるかも知れません。ですが今はそんな事は考えないで、今の生活を楽しく、ありのままに送ることが、いちばんの出来ることだと思います。
 普段の生活は自分の人生を形作るものです。繰り返しになりますが、私は今まで過ごしてきた時間を思い出しながら、また新しい生活を形作って、普段どおりの生活として守り続けたいと思います。
 以上を私の夢とさせていただきます。

私の夢        R.K(高校3年)

 私の夢はシステムエンジニアになることと、英語が得意になることです。システムエンジニアになることを夢見たのは、高校生になってからでした。元々コンピュータを扱うことが中学生のころから好きで、高校の商業科に通い始めて一年目、中学のころよりも授業でたくさんコンピュータを扱うようになり、特に情報処理の勉強を進めていくうちに、コンピュータを扱うことがさらに好きになりました。
 情報処理の勉強は好きなだけあって、テストでも毎回良い点数を取り、情報処理検定三級も取得し、とても自信がつきました。一年生も終わりに差し掛かった時、一回目の進路希望調査が行われました。その時に、自分は将来何になりたいのだろうと考えた結果、自分の好きなコンピュータを使った仕事をしたいと思いました。
 そんな時に、システムエンジニアという職業があることを知り、将来はこの仕事をしたいと思いました。この夢を持ってから一年が経ち、高校二年になった今、ITパスポート取得のための勉強が増えました。また、引き続き情報処理の勉強もしていますが、内容がだんだんと難しくなり、前期はテストであまり良い点が取れずに自信が少し無くなりつつありましたが、情報処理検定二級を無事に取得することができたので、再び自信を取り戻すことができました。後期からは、前期の結果を挽回するために高得点を取り、情報処理検定一級も取得して、さらに自信をつけたいと思います。
 二つ目は、英語が得意になることです。私は昔から英語がとても苦手でした。小学生のころから、週一時間程度の英語の授業がありましたがほぼ理解できず、ローマ字すら微妙な状態でした。中学校に入ってからも英語が苦手なのは変わらず、塾に通い始めて先生に教えてもらいながら、問題集を解いていました。それでもなかなか英語が出来るようにならなくて、苦労しました。特に高校受験のための英語の勉強は、毎日毎日ほんとうに地獄でした。
 そして今も、中学生のころより必死に英語を勉強していますが、仮にも得意とは言えないですし、授業でも文法の理解が若干、追いつけていないような状態です。とても大変ですが、やっぱり英語ができるようになりたいという気持ちがものすごくあること、将来のことを考えても、英語がしっかりできる方が絶対に有利だと考えています。
 そのために、大学受験に向けて中学英語から復習をして、完全に英語をマスターしようと問題集を解き始めているところです。そして全商英検一級合格を目指してとにかく単語を覚え、長文読解に慣れるために英語の本を読んだりすることもしています。
これからも私は好きな勉強を楽しみ、時には無理をしても学び続けることで、自らのレベルをアップさせたいと思います。そして日々、立ちはだかる壁を越えていき、叶えたい夢に向かって少しずつ近づいていきたいと思います

 

私の夢        Y.H(高校1年)


 私は今、伯父さんに里親になっていただいてます。現在の家族は妹、祖父、伯父、伯母、従兄妹二人の七人家族です。親族里親型の養育里親だそうですが、元々みんな知っているのとほぼ元々の生活環境ですので、小学校の頃からの友だちも近くにいて、恵まれた環境だなと思っています。
 私は、中学校一年生の終わり頃に母子家庭だった母親が亡くなり、妹と伯父さんの所に来ました。初めは、昔から泊まりに来たりしていたものの、ここに実際に住むことになるので、少しばかり緊張していました。それでも、みんなが温かく迎えてくれたのでとても嬉しかったです。
 ここに来るまでの私は、どうしようもない生活を送っていて、学校も休みがちでした。母親と妹と三人で生活していた時には、小学校の中学年くらいまでは規律正しい生活を送っていたのですが、母親が病気になって、日中はほとんど寝ているようになりだしてからは、少しずつ生活環境が悪化していったと思います。
 伯父さん方は、まず規律正しい生活に戻そうと努力してくれました。いま思えば当たり前のことかも知れませんが、朝食や晩ご飯もしっかりと作ってくれて、それからあまりにも勉強の成績が悪かったので、塾にも行かせてくれました。
初めは、中学校を卒業した後には、体力に自信があったので土木関係の仕事に就こうかな・・・と漠然と考えていました。でも伯父さんと伯母さんは「せめて高校には進学しないと、将来的に困るんだよ」と言ってくれて、一緒に将来のことを考えてくれました。児童相談所や相談員の方のお話しも聞く機会もあり、心強かったです。私も考え方を変えて、自分も変わらないと!と思うようになりました。
 はじめは学校での成績もそれほど極端には上がりませんでしたが、二年生の夏ころから高校受験に向けて目標ができ、塾の先生方の応援もあって、信じられないくらい成績が上がっていきました。ランクで言うと、IランクからGランクにです。とても嬉しかったです。ランクも上がったので、高校の選択も出来るようになりました。少し心配だったので、結局は市内の高校に決めましたが、無事に合格することが出来ました。
今は、高校一年生です。今でも塾に行かせてもらっているので、十二分に高校の授業内容も理解できるし、仲の良い友だちもできて充実しています。
 将来の夢も少しずつ変化してきていて、伯母さんの妹が看護師さんをしていることもあり、高校を出たら自立を考えなくてはならないので、看護系の学校に行けたらいいなと思っています。ただ、今の私の成績ですとかなり頑張らないと難しいみたいですが(笑)。
それと、将来の夢が少し見えてきたことで、お金の使い方も考えるようになりました。以前はお小遣いをもらって、あまり考えもせずに使ったりしていましたが、高校生になってからはアルバイトも始めて、自分の買いたい物も買ってはいますが、貯金も少しずつし始めました。一人暮らしをはじめた時に困りますからね。
 できれば、看護学校に行って看護師になるのが、今の私の夢です。 


日ごろ思ったり考えたりすること        A.I(高校1年)


 ぼくの日ごろ思うことは4つあります。
 一つ目は、生きていることがだるいってことです。理由はとくにありません。自分でもなんでだるいと思っているのか分かりません。ただ生きてることがだるいのです。
 二つ目は、なんで自分が産まれてきたのか?ってことです。これも特に理由はありません。でも、自分が産まれてこなかったらどうなってたのかなど、いろいろ気になります。こんな人生になるなら、産まれてこなかった方がましです。
 三つ目は、死んだらどうなるかってことです。自分が死んだらどうなるかとか、死んだら今までの思い出などがどうなってしまうのかが気になりますね。
 四つ目は、ぼくが日ごろこんなことを思ってるってことです。考えてもどうせ生きていることが楽しいとか、産まれてきて良かったとか、死んだらこうなるんだとか、自分が思っていることが変わるわけでもないのに、考えて意味があるのでしょうか?
 他の人がどう思っているかは分かりませんが、ぼくはこう思ってます。


私の夢        W.W(高校2年)


 私には将来かなえたい夢が三つあります。一つ目が看護師になること、二つ目が恩人に恩返しをすること、三つ目が世界中を旅することです。
 私は、いままで自分に自信が持てず、将来にも希望なんてありませんでした。しかし、今回太田さんの家にお世話になり、少しずつ将来について考え始め、目標を看護師にしました。看護師は仕事に困ることもなければ、もし結婚しても職場復帰ができます。
 ですが、私がいちばん気にしているのは、この国の看護師不足についてです。この国は少子高齢化が進み、医療も発達してきているのに、看護師やお医者さんが不足しているのが現状です。なので私が看護師になり、少しでも社会貢献ができればいいなと思いました。そのために勉強をして国家試験を頑張って合格したいです。
 看護師になったら、次に二つ目の夢をかなえたいです。今までお世話になったたくさんの人や学校の先生、友達、そして育ててくれている太田さん夫妻にも何か恩返しができればいいです。
 私には出来ることが少ないし、気が利かないので、今までたくさんの人に迷惑をかけてしまいました。なので、自立して一人でもやっていけるようになったら、今までお世話になった人達に恩返しをしていきたいと思います。

 恩返しの過程でもいいですが、世界中の全ての国を見聞して回りたいのが三つ目の夢です。まずは、アメリカに行って本場の英語を学び、そこから北アメリカと南アメリカの国々を全て制覇したら、オーストラリア大陸を巡り、ユーラシア大陸に上陸してヒッチハイクや徒歩でアフリカ大陸まで行きたいです。
 ギリシャのパルテノン神殿や、カンボジアのアンコールワットの遺跡、エジプトのピラミッドやスフィンクス、イギリスの博物館、フランスの首都パリに行ってルーブル美術館を一日かけて見たり・・・、と世界中に広がる重要文化財や、過去の人々が残してくれた素晴らしい文明の数々を見たいです。
世界中を見て回って帰ってきたら、自分と同じような環境にいる子ども達に写真やお土産を見せて、たくさん話をしてあげたいです。大人が子どもにしてあげられるのは、教育と知識を分けてあげることだと思うので、私は後の世を引っ張っていく子ども達に私の持っている全ての知識を分けてあげたいです。これもきっと社会貢献の一つになるはずです。
 そして、夢ではなく目標ですが、私は将来働いて金銭的に余裕が出来たら里親になりたいと思っています。私は今、太田さんの家でお世話になり、いろいろと援助をしていただいて、とても幸せになれました。だから私も、私と同じ境遇にいる子どもや、将来有望で夢や希望があるのに金銭的余裕がなく十分な教育を受けられない子どもなどに、援助や十分な教育を受けさせてあげたいと、次第に考え始めました。そこで私はどんな仕事についても、里親になるか援助をすることを夢ではなく目標にすることにしました。

 自分で書いたものを客観的に読んでみると、社会貢献の文字が目を引きます。今までは、手一杯すぎて他人のことは、はっきり言ってしまえば眼中にすらなく、いつも自分のことを優先させてきました。ですが、太田さんの家に来てからは、心に余裕が出来たのか、他人のことに目がいくようになり、人や社会の役に立ちたいと考えられるようになりました。そのおかげで将来の進路も決めることができ、夢が出来ました。今までの私では考えられない成長です。
 これも全て、支援してくださる皆さまや友達のお陰であり、何より育ててくださっている太田さん夫妻のお陰です。本当にありがとうございます。これからもこの感謝の気持ちを忘れずに、夢と目標の実現に向かって精一杯がんばって生きたいと思います。今回はこのような拙い文章を読んでくださり、誠にありがとうございます。




北海道中央地区里親会

〒064-8564
札幌市中央区円山西町2丁目1−1 
北海道中央児童相談所 気付け  
TEL 011-631-0301


(里親会の事務局が個人宅のため、
連 絡先を児童相談所にしています。
事情をご理解ください)